2017/02/13

社会開発とはなんぞや


社会開発とかの仕事に関わるようになって思うこと。
過去何十年に渡って大量の金が先進各国からつぎ込まれたというのに、
なぜいまだに貧困がなくなってないのか。という疑問。

いや少しずつは改善されてきているのかもしれないが、
例えばこれまで費やした頭脳と援助金を、花に水をやるかの如く、空からばら撒くのと比べて、
果たして大きな差があったのだろうかとか、そんなことを考えてしまう。


お金を空からばら撒く、という表現をしたけれど、自分自身はマイクロファイナンスだったりBOPだったりフェアトレードだったり草の根支援だったり参加型開発だったり、そういう理念はとても大切だと思います。だからこそ、それがただのばら撒きよりもよっぽど効果的なんだって思いたいわけですが、実際にやってみるとプロジェクト自体お金もかかるし、失敗することも多い。現実にある事例として、人材と時間をかけたあげくに残ったのはばら撒いた物だけ、とかシュールすぎるでしょ。


そうならないように頑張っていきます。


日本でのいじめ問題とか見てて思うんだけど、こういうずっとなくならない系の問題に挑戦するとき、出発点の物の見方にそもそも落とし穴があったりするケースが多い。例えば「いじめっ子をなくす」キャンペーンをしたとすると、いまいじめをしてた子はそれをしなくなっても、また新しい子がいじめを始めたり。ジャイアンがいなくなったらスネ夫がガキ大将になるというあれね。独裁スイッチ参照。結局いたちごっこになってしまう。

だから個人的には、大量にいるいじめっ子候補を全てケアするより、ターゲットになりやすいいじめられっ子を底上げしてやることが正しいアプローチの仕方だと思っています。


それはともかく。
開発については、教育と少し違う。「経済成長」とか言うけど、子供に新しいことを教えたり社会性を与えたりという「成長」とは違って、途上国の村はある意味すでに一度成熟したコミュニティがあって、昔ながらの経験だったり技術もあったりする。子供ではなく、むしろ年配のおっさんや中年だと思えばいい。


つまり先進国が若者で、途上国がおっさんなんだ。と思うことにする。
そして年配の人になるほど、頑固だったり、昔の観念に縛られることが多いし、新しいことやイノベイティブなものへの適応力がなかったりするから、先進国の入れ知恵がうまく機能しないことが多いのかもなぁと。

「これまで」と「これから」を融合させる方法、これにはきっと一般解がなくて、だからこそ「社会開発」というフワッとした(もしくはちょっと怪しい)分野の専門家が存在するんだと思う。


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